| 川と交通(新潟の歴史) 発酵食のなかでも、自家製の味噌は古くから農家などでつくられていましたが、販売を目的として大量につくられるようになったのは明治以降です。旋回問屋や米殻商が、米や大豆といった原料を手に入れやすかったこともあって、新潟で味噌をつくり、気候の関係で製造が難しかった北海道などに北前船で運びました。交通の動脈が河川だった当時、旧栗ノ木川(現在の栗ノ木バイパス)沿いに発酵食の店や工場が集中したのは、運搬の便利さがあったからなのです。 船から鉄道へ(新潟の歴史) 明治になると、交通の中心は船から鉄道になり、全国各地に確実に商品が届けられるようになりました。すると、関東園へ商品を送ることができるようになり、廻船が衰退するなか、発酵食製造はのれん分けなどによって店が増えていきました。新潟市中央区に残る発酵食の店でも、明治期創業の店が多くあります。昭和43年、亀田郷や鳥屋野潟の排水路としての役割を終えた旧栗ノ木川は埋め立てられ、栗ノ木バイパスとなりましたが、現在もバイパス沿いには発酵食の店舗がたくさん残っており、新潟市中央区の魅力を形づくっています。 新潟市中央区の店(新潟市の伝統) 新潟市中央区に今も発酵食の店が多いのは、商売を拡大しすぎず、真面目にこつこつと店の味を守り続けてきた結果でもあります。けっして隣の店の味を真似ることなく、自分の店の味を求めてくれる得意先を大切にしてきたのです。その店ならではの伝統の味が、今もそれぞれのファンをつくっているのです。 新潟市中央区内(特に信濃川河口の沼垂、新潟島)には、古くから味噌や醤油、日本酒、納豆、漬物など発酵食品関係の工場や蔵、店舗が多くあります。その理由として、昔は物流の集団として舟運が一般的で、栗の木川沿いや新潟港などは、内陸部から原料となる米や大豆、野菜などを集めたり、出来た製品を遠方に出荷したりと都合が良かったからといわれています。また新潟は、冬の寒さが雑菌の繁殖を抑え、夏の暑さが発酵を助けて、気候の面でも発酵食(酒、味噌、醤油、納豆、漬け物)の製造に適してるそうです。 明治になり、まちなかに職人や商人が集まってくると、それまで各家庭で自給自足されていたみそが店で買われるようになったり、開拓が盛んになった北海道へみそや酒が大量に送られるようになったりして、新潟の発酵食品産業はますます盛んになりました。その後、戦中の物資統制で原料が思うように手に入らなかったり、戦後の食品衛生法改正で生産設備の大改装を余儀なくされたことから、転業や廃業をするところが出ました、しかし今でもこの地域 新潟市中央区は日本酒や味噌、醤油、納豆、漬け物の発酵食品が盛んに行われ新潟市中央区の特色となっています。 |
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